などなどと、僕いっちょまえに字書いたりします。
別に書に自信があるわけではありません。
小学校のとき毛筆初段をとりましたが、なんの役にも立たない名前だけのようなものでした。
なんか書いてみたいとおもうようになり、
そしたら、教えてくれる人が現れてその人も別に書をしてたわけではなく。
なんとなく書き方のコツ的なものを聞いたときになんか出来そうと思い書き始めました。
ほんで人の名前で書いたりもするようになりました。
字を書いていると 字霊(じたま)があるねんでみたいなことをおしえてもらった。言葉に魂がやどってる。ことだま言霊があるっていうように・・・
ぼくは霊感があるわけでもなく、不思議なことに遭遇したこともない。
知らないことをなにも信じないのではなく、そんなんもあるんかな、ぐらい。
でもね書いてるとなんか言葉でいえない共通点みたいなのがある。気がしだした。
漢字には漢字単体がもつ意味があったり、 重ね合わさった意味があったり
ひらがなにもそれぞれに意味というか、特徴があったりする。
書けば書くほどそんな気がするようになった。
名字って 生まれる前からきまってる。 親の名前・・・ 旧姓とかあるけど
先祖から伝わる名字。 これもきっと伝わるだけあって意味があるんやと思う。
そして名前、 これは生まれてから、親だったり、祖父母だったり、姓名鑑定だったりでつけられる。
でも、スピリチュアルの人に聞くと、名前は生まれる前から自分で決めてでてくる。
親も自分で決めて生まれてくる。なんっていう。
ぼくには生まれる前の記憶がないので、なんとも確認しようはないが・・・
自分で決めたにしても、決められたにしてもどっちにしても文字として表され、その文字には意味が含まれる。
ずっとなんか書けずにいた自分の名前を書いてみた。
どの名前を書くときもかなり悩む、直感で書きながらもすごい考える。自分の名前のときはいつもと違う感覚だった。
こうでありたいという希望と字からくる意味とのバランス。
それを完成してしまったらそうでないといけないのではという・・・プレッシャー
でも書いた。それを書くことでなにかひとつ明確なるものをつくればいい。
明確化させることで自分の指針なるものがさらにはっきりするかもしれない。
ちなみに家族の名前すべて書き、トイレにはってある。
下の子のはまだ、そろそろ書こう。
あと書についてなにかもう少しまっすぐ向き合うことでなにか意味あるものがうまれるかもしれない。とおもう。
そうおもってると、書家と出会う。なんか不思議な感じ。
たまにまったく知らない人へ、と書を頼まれることがある。
あったこともないひと。名前だけで言葉の意味を感じ
書く。すごいよろこんでくれる。
もしかしたら占いに似た部分があるのかもしれない。
自分の未来を明るく灯すことで いまを元気に楽しくがんばれる。
使命、指名、氏名 どれもひらがなで書けば「しめい」
漢字をつかうことで、どのことかをはっきりさせているように感じる。
でも日本はもともとひらがなの国、あとから漢字が入ってきた。
むかしは氏名は使命をあらわしていたのかもしれない。なにか与えられたことする人として指名されてたのかもしれない。
って考えたら氏名に使命が記されてるのかもね。って何かの本で読んだ。
そのとき、なぜかわからないが、大きくうなずき、おっきいパズルが完成したような達成感を得たのを覚えている。